「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第1話 外資系広告代理店での35年

2019.08.01

小池玲子(こいけ よしこ)。
昭和、平成と生きて来て、今、令和の時代を歩み始めました。
 
大切な友人である吉田ともこさんのオススメでブログを書くことになりました。こんな私の人生に誰が興味を持つのかと思いましたが、私の回り道や失敗話も誰かの参考になるのではと筆をとりました。
 
 

左:小池 玲子 右:吉田ともこ
 
人間形成の上で、三つ子の魂百までとよく言われています。
確かに幼少期の環境は子供の意識に深い影響を及ぼし、後半生の人間形成に少なからず影響を与えると思います。そこでまず幼少期の経験を書こうと思いますが、その前に私が何者かの簡単な自己紹介をしたいと思います。
 
 
私は幼い頃から絵を描くのが好きで、高校時代に広告に興味を持ち東京芸術大学を目指しました。失敗を重ねた後、めでたく入学。卒業後は、広告代理店に就職して広告制作をと思ったのですが、その頃、日本の広告代理店の上位10社は、女性のデザイナーに門戸を開いていませんでした。
 
 
寄り道をしつつ、女性を受け入れてくれる外資系の広告代理店ジェイ・ウォルター・トンプソン・ジャパンにやっと就職できました。それから35年間。3つの外資系広告代理店を経験し、制作の仕事を続けてきました。
 
 

広告代理店時代。

今振り返りますと、かなり多くの外資の製品やサービスを広告してきたと思います。
 
 
担当が一番長かったのは、『A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠の輝き)』で知られるDe Beersです。他のクライアントと平行して22年間担当しました。「婚約指輪は給料の3ヶ月分」というエンゲージメント・キャンペーンや結婚10年目に妻に贈る「スイートテンダイヤモンド」の仕事は、私の仕事のマイルストーンとなりました。
 
 
そのほかに懐かしい、金髪の女性のティモテ、ブルック・シールズのラックススーパーリッチなどのトイレタリー商品、ケロッグ、クラフト、プリマハムなどの食品、ハーゲンダッツやキットカットも楽しい思い出です。フィルムといえばKodakという黄金の時代に担当させていただきました。そうそうFORDなど車の仕事も。ルノーを担当したのは、ゴーンさんが日産に乗り込んだ翌年でした。
 
 
航空はNorth West、Air Bus。固いところでは、UBS Warburg 、保険のAXA。「水なんて誰が買って飲むのか」と言われた時代にはPerrier、 Vittel 、Sanpelleglino を。
 
 
化粧品は、ロレアルの HELENA RUBINSTEIN、LANCOME  Biotheam。そういえば資生堂が海外に向けた広告も担当させていただきました。こう書いてゆくとキリがありませんね。
 
 
他に選択肢が無く、英語もしゃべれないのに外資に入った私ですが、そこで思わぬ拾い物をしました。それは、日本ではまだ一般的でなかったマーケティング、ブランディングを学べたことです。また論理的な物の見方、尺度も学びました。これは私の後半生におけるベンチマークとなりました。外国人との付き合い方も。
 
 
広告代理店退職後は、R3という自分の事務所を立ち上げて、私のささやかな経験を生かしてのお手伝いをさせていただいております。こんな私がどういうように過去を生きて来て、そして今を生きているかのお話をさせてください。


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