「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第7話 なが〜い付き合い

2019.11.01

中学はなんの感動もなく進学した。
しかし、ちょっとした期待感はあった。なぜなら、小学校は学年が120人、中学は150人、30人くらいの新しい生徒が入ってくるからだ。6年間、同じ級友、同じ先生という環境では、周囲の自分に対する先入観が固定されているようで、息苦しかった。


中学生時代。


中学では何か新しいものが生まれるのではないか。自分を新しい目で見てくれる人がいるのでは...という、かすかな希望があったのだ。


こんな私の希望は叶えられた。
一人の級友となぜか気が合った。家が歩いて30分のところにあったからなのか、彼女のお父様が画家だったせいか。それとも彼女の、生成りの木綿のようなさっぱりとした性格ゆえか、わからないが、毎日教室で会い、お昼におしゃべりしていたのも関わらず、週末には手紙を書いて交換していた。たくさんある手紙の中には涙で文字が滲んだ絶交宣言の手紙もあった。

女性は、卒業後、就職や結婚など環境の変化で付き合う友人が変わってしまいがちだ。私と彼女もいくつかのブランクを経て、まるで2つの川の流れが時々合流するように合って、また別れて、また現在も続いている。


彼女とやりとりした手紙の束。


そして中学二年の終わり頃から、頼まれて小学生の勉強を見てあげることになった。相手は小学校4年生の女の子。教え始めると私は夢中になり、毎日通って勉強を見てあげた。答えを教えないで考えさせるやり方をとった。これは父や姉が私に勉強を教える時に取ったやり方だったから。

このやり方は時間がかかったが、頑張って毎日2時間ほど一緒に勉強した。最初は全く自分で考えず、只、答えのみほしがっていた子が、だんだんと自分で考えて問題を解く様になるのを見るのは面白かったし、自分が何か良いことをしているという充実感があった。ビリにかぎりなく近かった女の子は一年後にはすっかり成績が良くなった。



もう一つ、中学時代の私の生活に大変動が起こった。
長い間、母代わりをしてくれていた長姉が結婚したのだ。


長姉の結婚。その寂しさを日記に。


ある時、すぐ上の姉が私のところへやってきてこう切り出した。

「よっちゃん、どっちを選ぶ?朝と夜。」

よく聞いてみると、今まで長姉がやっていた食事の用意を、家に残った2人で分担することになる。ついては朝食担当になるか、夕食担当になるか選べというのだ。朝起きることの不得意な私は、即座に夜の担当を選んだ。しかしこの取引は私にとって大変、不利益なディールであったことが後になって判った。なにせ当時はレトルト食品も冷凍食品もコンビニもスーパーもなかったのだから。


私の作る食事に音をあげたのか知らないが、父が真剣に再婚を考え始めたのはこの頃だったと思う。