「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第40話 地獄にも天国にもなる出会い

2021.06.15

前回、私は出会いの大切さに触れたが、長い間仕事をしていると、素晴らしい人との出会いもあれば、できれば会わなかった方が良かったという出会いもある。
    
私が友人と立ち上げた会社は、4年経っていた。
徐々に社員も増え、クライアントも増え、新しい事務所に移り、メディア担当の副社長も迎えることができた。会社としての体裁もだんだんと整ってきた。営業として優秀な友人の力でもあったし、信頼できる仲間との仕事の成果でもあった。
       
しかし、毎日精一杯働いて充実した毎日を送っていた私たちにも悩みが一つだけあった。FCBはアメリカで最大の広告代理店であった。国内で大きければ大きいほど、優秀な社員は、その本部にとどまりたがる。未知の国、日本などに来たがる人はいない。説得されて来ても、日本という環境にびっくりして、戦意をなくし、本国に逃げ帰ってしまう。
    
問題は社長にあった。本国から送られてきた社長、また日本で声をかけられて就任した社長は皆、社長の仕事をしてくれなかった。
    
3人目の社長は日本人であった。偶然にも、20数年前、私は彼の仕事の後任としてJWTに就職したのだ。その後全く接触はなかったが同じ業界であるので、噂は聞いていた。私にとってあまり会いたくない人物であった。
     
最初の出会いから、私と彼とは生き方が違うと直感的に感じていた。理由は価値観の違いである。彼が社長として出社してきた時、私は自分がこの会社を去るような気がした。大きな組織ならともかく、10人足らずの組織において価値観の違いは、混乱を引き起こす原因となると思ったからだ。
     
しかし大人の対応と、自分の心を抑えてやり過ごしているうちに、私たちにとって大変な事が起こった。会社の柱となっていたNW(ノースウエスト航空)が突然代理店を変えたのである。この原因はアメリカにおけるFCBのサービスに起因したものであったため、私たちにはどうしようもなかった。
     
会社の業績は目に見えて悪化することが見て取れた。そして決定的な亀裂が生じた。冬のボーナスの時である。私たち二人は若いメンバーの雇用の継続と、彼らに少しでもボーナスを出してもらえないかと、会議の席で申し出た。
     
しかし彼の返事はノーであった。そして「僕ができる精一杯のことはこれだけ」とそこにいる会社の幹部に向かって、一人一人に一万円札を一枚ずつ配った。私たちは若い人たちのこれからを思い絶句した。
     
最悪の価値観の違いである。私と彼女は丁寧にその一万円札を彼に返した。その時もうこの会社にはいられないという決心がついていた。
   
精神的に健康であるためには、自分が信じることのできる人、相容れないところもあったとしても根本的な部分で信じられる人と協力して仕事を進めることにあると思う。
    
そこを無理していると必ず精神が参り、体も悪くすると私は信じている。JWTで顔の神経が死んでしまったのは、そこが原因であると、私は自分の体で会得したのである。

また一から始めよう。そう思った時救いの出会いが待っていた。
  
  

良い思い出の一つはLEVI'Sの伸び縮むする素材、テンシルの日本でのロンチ広告ができた事。
サンフランシスコで、その当時LEVI'Sを任されていた、クリエイティブディレクターと会って話ができた事だ。