「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第12話 芸大の光と影(1)

2020.01.15

ものすごい回り道をして、私はついに芸大の門をくぐった。

最も感動的だったのは、入学して最初の課題。
それは、6週間かけて一枚の粘土板のレリーフを作り上げること。モチーフは植物。構内で自分の興味のある植物を4週間かけて写生し、粘土板に表現するというものだった。
 

入学した当時の本館
 
芸大本部の前に築山があり、彰義隊がそこで自決したと言われる古木の周りに、青木が生え茂っていた。私はその藪の中に座り込んで、毎日毎日、青木をスケッチした。
 

当時のスケッチ
 

 


私はその時初めて、私が求めていたものはここにあったのだと確信した。
ただただ、就職に必要な技術を教え、その裏にあるものの見方、考え方に時間を割かない教育には不満を感じていたから。
 
 
工芸塗装法という授業も選択した。
はじめに12枚の板が渡され、1年かけて12種の塗装を施すのだ。最初は簡単なニスの塗装から、最後は漆を使った研ぎ出しの塗装まで。板と、砥の粉と、漆と、筆と、ヘラと格闘をしながら。自分の手元を見つめ、ただ黙々と作業することは、考えを深め、精神を鍛えることでもあると悟った。

 
心に残ったユニークな先生は、人体美学の西田先生であった。黒の山高帽、黒の背広、白いシャツ。痩せて小柄で、眼光鋭く、まるで暗殺者のような風貌。なぜか先生の授業は人気で、大講堂で他の科の生徒と合同で行われた。代返をする生徒がいると、先生は黒板に向かっていても、ノートに目を落としていても、代返を見抜いて警告を発した。
 
体育の先生もユニークであった。独自の体操を考案し、「体は砂袋のようなもの」と言ってみんなに非常に無理な姿勢をとらせたりした。


学校は道路を隔てて、美術部、音楽部に分かれていた。
食堂はそれぞれ一つずつ。美術部の方は「大浦食堂」といってまさに学食。音楽部は「キャッスル」といって白ペンキに塗られたオシャレなレストラン風。そこで食べる学生の色は、大浦食堂は作業着姿、頭に帽子、首に手ぬぐいをかけた無彩色。一方、キャッスルは花畑のような華やかな雰囲気であった。

この大浦食堂の名物はおばちゃんで、大変愛想が悪かった。その理由として、若い頃、油絵科の学生に失恋したそうだ、などという噂がまことしやかに学生の間で受け継がれていた。


みんないい顔している。

2年の終わりには、学生生活最大のイベント「古美研」があった。
芸大の美術部の研究所が奈良にあり、一週間みっちり国宝の仏様や建築物を見学した。昼は一般公開しない御物を拝見し、夜は奈良の街に繰り出してお酒をたらふく飲んで議論した。私たちは無邪気にこの旅行を楽しんだ。
 
  

青春真っ只中?の笑顔です。

この古美研が終わると工芸科の60名は、それぞれ希望する専門課程へと分かれてゆく。
V.D、I.D、陶芸、漆芸、鍛金、彫金、鋳金、染色へと。