「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第25話 オンザジョブで、自分の欠点を知る

2020.09.01

入社以来、与えられた仕事は多種で、新ブランドのトイレットペーパーとテッシュのデザインであったり、スコッチウイスキーのジョニーウオーカーであったり、今では懐かしいパンアメリカン航空であったり、その頃はお歳暮の定番であったLUX石鹸であったり。


航空会社PAMAMの操縦席で。今は存在しない、ある年代以上の方には懐かしい、
パンアメリカン航空の仕事で、操縦席に座らせてもらった
   
仕事は大好きで、会社での徹夜なども意に介さなかったが、仕事をしていく上で自分の向き不向き、興味のあり方を実感するようになった。


予備校時代の友人の紹介で装幀の仕事をした。
星の王子様の翻訳者、内藤濯さんの随筆集「未知の人への返書」は、星の王子様を読んだ読者に対して内藤濯さんが返書のつもりで書かれたものであり、その装丁と挿入画を頼まれた。私にとっては初めての仕事で、かなり緊張した。
 

未知の人への返書表紙。その当時装幀では一般的でなかったつや消しの紙を使った。
当時は精一杯頑張ったが、甘い甘い。
 

内部の扉に使ったイラスト。

 
この装丁は幸いにも新聞で装丁のコラムを担当していらした、原弘さんの目に止まり、お褒めの言葉をいただいた。
 
その後、次々と装丁の仕事を依頼された。
澤地久枝先生のデビュー作「妻たちの二・二六事件」、「密約」など、装丁の仕事は作家的な要素が多く、自分には向いていないと感じた。
 
 
資生堂のインターナショナルの仕事もさせていただいた。当時資生堂は、セルジュ・ルタンスをブランドイメージのクリエイティブディレクターに指名し世界戦略に打って出ている時であった。
  
その中で日焼け用クリームの製品をアメリカとヨーロッパで新発売の企画があった。日焼けのイメージはルタンスと合わないと判断されたのであろう。   
 
JWTにオファーがあった。
ビジュアルアイデアが承認されると、カメラマンのウーヴェ・オマーに頼むことにした。彼はドイツ人のカメラマンであったが、当時はパリにいて女性のヌードを美しく撮ることで定評があった。なぜなら私のアイデアの元は、美しい製品ボトルからきていた。ボトルの色は褐色で、女性の体の美しい曲線をイメージさせた。
 

サンタンのポスター。
今見ると随分大胆だったなと思う。
パリでのオーディションでは
80人くらいの女性のお尻を見た。白人、東洋人、黒人の肌の差を出すのが難しかった。
当時はコンピューター技術もなく、
一発写真であった。印刷の色補正でリアル感を取り除いた。
   
人種を超えてどんな色の肌も美しい日焼けの肌にする、というのが表現のコンセプトであった。
この仕事を通して、グラフィックに対してのキメの細かい配慮と深い考え方をクライアントから学んだ。
  
しかし私は何か物足りなさを感じていた。グラフィックデザインで美しいものを作ることは楽しい。しかし、ターゲットに届く力が弱い。そして自分を省みると、グラフィックデザインに必要なディテールにこだわる緻密さに欠けていると感じた。
  
私は何のために広告を志したのか、言い古された言葉だが、「広告とは宛名のないラブレター」。見ず知らずの人々を私のクリエイティブで振り向かせたい。そのためには、発信するクリエイティブをより完成度の高い魅力的なものにしなくてはならないと思った。
    
私のアイデアを、より良いものに作り上げてくれる、私が持っていない才能を補ってくれる人々との共同作業が必要と感じた。そして多くの人と、一つのものを作り上げることが私の喜びでもあった。
  

CDにアサインのJWTグループのリリース=30代になってADからCDになった。