「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第28話 やっと、腑に落ちた仕事

2020.10.15

「ダイヤモンドは高嶺の花、私には関係ないわ。」
と思っている日本の主婦たち、女性たちに、「あら私も」と彼女らの生活の中にダイヤモンドの可能性を入れたいと願って作ったテレビコマーシャル。
    
なんとか届いた、と自分でも納得がいったのは17年間デビアスの仕事を続けてきて、やっと4本。この4本を作った後、私は局長になったため実際の仕事から離れた。
   
長い間のクライアントとのバトルで得た貴重な4本である。
1本は以前お話しした、スイートテンダイアモンド。しかしこれは商品の企画から入り、商品及び価格自体の魅力が力を持ったと思う。
  
16年間でデビアスのCM作りに携わったのは、38本。
やっと4本と驚かれると思うが、納得という面ではたった4本なのである。それほど、外国人との感性の壁は高かったのかそれとも私の力が及ばなかったのか...

まず流れが変わってきたなと感じたのは、冬のキャンペーン、ダイヤモンドコレクション88であった。それまで何本となくこのキャンペーンでCMを作ってきたが、腑に落ちるものや、話題になるものがなかった。このキャンペーンの成功の一つには黒田明さんというディレクターとの出会いだった。
   
彼の力で、ユーモラスでいて、どこか切ない、ありそうな日本の家庭が描けた。このシリーズは3年続いた。88年の杉浦直樹さんのお父さん、そして89・90年の由紀さおりさんの主婦役。
   

ダイヤモンドコレクション:デビアスとしては初めてタレントを使用した。
お父さんが差し出すダイヤモンドの指輪に、虚をつかれたお母さんが、「馬鹿ねえ」の一言。
「せっかくのボーナス、もっと他に買いたいものがあったんじゃないの」の心。
この「馬鹿ねえ」の言葉もクライアントから激しい抵抗にあった。  
   
この杉浦お父さんのCMは当時広告批評の編集長の天野祐吉さんから辛辣な批評をいただいたが、私にとっては飛び上がるほど嬉しかった。
    

天野祐吉さんのコメント朝日新聞に掲載されていた天野さんのコメント。
辛口の批評の中に愛を感じたのは私だけかも。
    
  
デビアスの戦略が効果を示すとともに空前のバブル経済によりダイヤモンドの消費はうなぎのぼりとなった。それを心配したのはほかならぬデビアス自身で、ダイヤモンドのイメージが落ちることを心配し、イメージを保つためのキャンペーンをスタートさせた。

このキャンペーンはアメリカ、ヨーロッパの3カ国、日本、計5カ国でアイデアの競合が行われた。競合から1年かけ3つのアイデアに絞られ、それぞれが制作された後、各国で調査にかけられた。

日本のアイデアは本当にイメージ追求のものであった。ここでもディレクターの木村草一さんに助けられ、シンプルで強いCMが出来上がった。調査の結果は日本のものがベストスコアであった。アイデア開発からオンエアーまで3年かかった。
  
  
HandsこのCMはアメリカでスーパーボールの期間、5年間放映された。
アメリカ人だってシンボリックでエモーショナルなものがわかるんだと感じた。当初クライアントに、アメージンググレースを提案したら、イギリス人の彼らはフットボールの応援歌だ、と言って大笑いをした。ニューヨークADCでゴールドメダルをいただいた。
  
 

85年の手帳2年かかってやっと撮影にこぎつけた時の手帳。
   
    
ただひとつ残念だったのは、音楽にアメージンググレースを使うことにしたのだが、それをアメリカの黒人歌手に頼みたかった。だが、当時アパルトヘイトに反対する、アメリカのアーチスト連盟のため実現しなかった。しかし白鳥さんが歌ったこの歌はその後、日本で広まっていった。

このCMも梶祐介さんからコラムにコメントをいただいた。嬉しかった。


梶祐介批評:その頃梶さんは雲の上の人。思いやりのある批評に感動した。
  
当時CMは一つの文化であるとみなされ、作り手はプライドを持って制作し、消費者にとってもエンターテイメントになっていたと思う。