「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第30話 ルビコン川を渡る

2020.11.15

自分にアサインされた仕事をただ夢中になってやって来た私が、思いもよらない決断を迫られる時が訪れた。
    
ある日社長室に呼ばれた。
その時の社長は、とても意志の強いアメリカ人だった。仕事に対して厳しい人で、よく言えば、理論的で決断力の人。悪く言えば独断の人。ひたすら仕事人間で、口数も少なく、アメリカ人の陽気さもなく。社員の人からは少々恐れられていた。
   
しかし、私は今までのポーズだけ日本人を重要視して、実は本国に帰りたがっている社長と違った彼に、なんとなく親近感を持っていた。何を言われるのか...嫌だなあと思い、少々緊張して社長室に入った。そんな私に彼はこんな風に言った。
   
「自分はとても頑固で、自分の信じたことをやり遂げる人間だ。だから時に大きな石のローラーのように、何もかもなぎ倒してぺちゃんこにしてしまうところがある。そこが私の悪いところでもある。だから私の部下はあまり私に反対しない。あなたはそんな私の前に、何度も立ちはだかった。」
   
突然の言葉に私は面食らった。そういえば制作に関することで、何度かやりあったことがあったっけ。
   
彼は続けた。「あなたなら私が間違ったことをしたとき、立ちはだかって諌めてくれる人だと思う。制作局の現在のトップが辞めるので、その後を引き継いで欲しい。」
  
あまりに突然のことでびっくりしてしまった。選ばれた喜びより、その時脳裏に浮かんだのは、当時、私と同等の立場のある2人の男性たちのことであった。思わず、彼らはこのことについて知っているのかと尋ねた。
   
それにたいして彼は、なんてことを聞くのだという顔をした。せっかく素晴らしいオファーをしているのに、同僚のことを気にしているなんて。
   
彼としては、喜びの笑顔を期待していたであろう。アメリカでは当然の展開あるが、意に反してしょっぱい顔をしている私がいた。

「彼らに承諾してもらう気は無い。」
彼は続けた。「もしあなたが断ったら、また外国人の制作のトップが来る。」
 
その言葉は私に対しての殺し文句であった。入社して当時まで17年間、制作局の局長は外国人であった。私の経験上、制作面やクライアントとの関係において、彼らが役に立った記憶がなかった。何か事が起こった時、外国人の局長は、日本人の私たちよりも、同じ外国人であるクライアント寄りの立場をとった。もちろん日本語は通じないので、制作したものの最終チェックには、通訳の手配や翻訳が必要で手間がかかった。

日本人向けの広告制作なのに何故外国人?という疑問がずっと私にあったから、そこをつかれたのだ。
   
これから起こる様々なネガティブを当然予測できたが、私はこの新しい挑戦を受けることにした。そう、待ち受ける様々な人の思惑を頭に描きつつ私は川を渡った。


山田さんの手紙=私の入社を許可した、当時の制作局長TOM Yamadaさんから暖かいお祝いの手紙をいただいた。
彼は日系2世でアメリカに帰ってしまっていたが私に初めて会った時の印象を書いてくださっていた。



AD AGEの記事=当時のアメリカのアド関係の新聞に載った記事
アメリカでは女性の副社長は珍しくなかったと思うが。



BUSINESS TOKYOの記事=アメリカ人向け日本紹介雑誌のインタビュー記事
当時ビジネスのターゲットとして日本がクローズアップされ、
マクドナルドの藤田社長などが成功者として紹介されていた。