「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第33話 会社が痩せていく

2021.01.15

私は家に向かって車を走らせていた。そのとき突然、頭の中に浮かんだ感覚。
それは「会社が痩せてしまった」という感覚であった。私が副社長になって3年ぐらいたったとき。
    
思い当たる理由は大きく分けて3つ。
一つ目の要因は、JWTと傘下のヒルアンドノウトンがWPPという企業に買収されたこと。二つ目の要因はバブルが弾けたこと。そして最後は日本の会社の社長が日本人になったこと。
   
 
全ての要因は私のような立場の人間においては回避できないものであったが、それは私がJWTを去る遠因ともなった
 
  
JWTがWPPに買収されて、まず目に見える形で失ったのが自社ビルであった。1980年代後半は東京の山手線の内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという試算が出るほど日本の土地の値段は高騰。1990年まで凄まじい勢いで土地価格が上昇していた。それだからであろうか、WPPの社長であるマーティン・ソレルは、当時東京のJWT自社ビルを売却することで、全世界のJWT買収の支払いをしたそうだ。
  
私もその当時、マーティン・ソレルと自社の社長や他の副社長たちと食事をするチャンスがあった。彼は若く小柄で、物腰は柔らかく、とてもその後大きな買収を進め世界最大の広告複合企業を作り上げるとはとても見えなかった。
  
しかし、日本料理の食事中、コースの価格を聞き、土瓶蒸しの中の松茸をつまみ、「これは一体いくらになるんだ?」という質問を、ジョークを交えてしたことが印象に残った。その時感じたことは、彼は数字にしか興味がないのではないかということだった。
   
気がつけば、変化はゆっくりとしかし確実に現れていった。古き良き時代の広告代理店の豊かさ、大らかさはだんだんと失われた。その一つの例が、長い間続いてきたジェームスウエッブヤングやサムミークセミナーという社員教育が全く行われなくなったことであった。
   
そしてバブルの崩壊により社内の雰囲気はさらに変わっていった。1980年代から快進撃を続けてきた日本経済。サラリーマンにとって給料が毎年上がるのは当たり前のことと考えられていた。しかし1991年の3月から1993年の10月までの間、激しい景気後退が起こったのである。
  
   
このバブル崩壊はJWTの顧客の多くが打撃を受けたが、中でもいちばんの打撃はいわゆる贅沢品、宝飾業界であった。その頃、デ・ビアスが主催した宝飾業界のセミナーで講師として招かれた三菱総研のロンドンで活躍されていた女性が『この不況はいつまで続くと思いますか』という問いに対して「今はトンネルの出口が見えていません。10年続くかもしれません。」と厳しい予想を言ったのが印象に残った。
   
今までクライアントのトップであったデビアスに黄昏が訪れた。


トンプソンが創立125周年を迎えた1987年。皮肉なことにその年にWPPに買収された。
創立者が彫り込まれているサムミークセミナーの記念メダル