「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第36話 世界で一番小さい広告代理店

2021.04.01

5月31日、JWTを退社して、6月1日には新会社で仕事をしていた。23年間努めた会社には64日の有給休暇の貸しがあったし、カンヌのCMフェスティバルの切符も買った。一ヶ月ぐらいのんびりしたいという夢があった。
   
しかし、退社が様々な理由でズルズルと伸び、やっとの事で退社できたのは新会社に移る約束の日の前日だった。日本橋の三越本店の前の道、中央道りを国道1号線の方に入ったところ、急に雑居ビルが多くなる問屋街。古ぼけたビルの3階で翌日には会議をしていた。
   
新会社、それはおそらく世界で一番小さな広告代理店。スタート時は、営業担当一人、制作担当一人。それにアメリカ人の社長の3人。彼は本社の命令で日本のことは何もわからずに来た人の良さそうな中年男性。

事の発端はこうだ。
2年前ノースウエスト航空が以前の会社のクライアントになった。その頃、安い航空チケットの代わりに最悪の機内サービスで有名だった。ノースワーストと陰口を叩かれていた。


 
日本からの乗客の増加と、イメージの挽回を図って広告活動を始めた矢先、突然広告代理店の変更が発表された。変更先は、アメリカで最大の広告代理店、フットコーンベルディング。日本では全く無名。なぜならフットコーンベルディングはアメリカの電通と称され、その巨大さゆえ、海外戦略に遅れを取っていて、日本に支社がなかった。

どんなに日本で悪評でも、アメリカにおいては無視できないクライアント。フットコーンベルディングの首脳陣が考えたのはクライアントの移動に合わせ、その担当をJWTからそのまま移動させて支社を作ることだった。当時ノースウエスト航空を担当していた営業の女性はとても優秀で、クライアントからは絶大の信頼を得ていた。その彼女から一緒にうつらないかと声がかかり、私は二つ返事で応じたのだ。


なぜこのように危ない橋を渡ったのか。
思えば彼女を副社長にプロモートにした社長も、私を副社長にした社長も外国人であった。それが私の引き金を引いた。
  
社長が日本人に変わってから、変わっていく社内の雰囲気。社長が外国人のうちは抑えられていたものが、ゆっくりと社内に充満し始めていた。それは、日本の企業特有の、男性たちの価値観。
   
私が愛していた開放的な雰囲気。男女の差無くその個人の力を認め、自由にものを言える雰囲気が徐々に失われていっていた。もともとハードな仕事だ。なのに、そのような雰囲気の中で仕事をする価値があるのだろうか?
    
アメリカでナンバーワンの会社なら、自分を正当に評価してくれるかもしれないという希望。そしてこれからは、信頼している人と一緒に仕事をしていきたいという欲望が私の中に芽生えていた。
  
  
媒体も自社で買えない。戦略部門もない。部下もいない。全くの無い無い尽くしの中、あるのは互いの信頼関係だけ、という中で新しい会社は走り出した。