「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第37話 もう一つのアメリカ(1)

2021.04.15

新しいドアを開けて一歩踏み出した私。
このドアは私に今まで知らなかったアメリカを見せてくれた。
    
FCB(フット・コーン・ベルディング)はその当時、アメリカで最大の広告代理店だった。オフィスはアストリアホテルと道を挟んで、セントラルパークを斜めに見るよだれの垂れるような場所にあった。
   
気さく、というのが最初のイメージ。以前のJWTアメリカ本部の印象は、よくいえば、スタイリッシュ、悪くいえば尊大で、上から目線を感じたが、FCBは違っていた。
     
それはNW(ノースウエスト航空)の新しいCM制作であった。このプロジェクトは日本とアメリカで放映されること、日本におけるNWの悪いイメージを払拭させ、ビジネスクラスの快適さを訴え、利用客の増加を狙ったものであった。
   
このCM制作をFCBのスタッフと共同で進めたことで、私は大変貴重な経験をした。チームは3人、アメリカからはプロデューサーとデザイナー、日本からは私。この3人が最初から最後まで一緒に動いた。
   
この仕事のコンセプトはNWビジネスクラスの快適性。そこを証明するために空間の快適性にポイントを置いた。空間について最も造詣の深い職業として、エンドーサーに建築家を選んだ。6名の優秀な建築家にインタビューして、最終的に高松伸さんに決定。


▲NWシューティイングブック 
    
撮影はロスアンジェルスで始まり、ダイナミックな空間のモニュメントバレー、日本への移動の機内、伝統の日本の建築空間竜安寺、高松さんデザインの大山、植田正治記念館、それぞれの空間を見せることによって、快適な空間を表現するのが狙いであった。 
  

▲手の上の石  


▲ストーリーボードとモニュメントバレー   
    
時間と距離と体力勝負のロケであった。
例えばモニュメントバレーの撮影は、ロスアンジェルスから小型ジェット3機でモニュメントバレーまで移動。ジェットを使わねば時間をセーブできない距離であった。狭い機内で撮影機材の間に身を挟まれての移動であった。
  

▲モニュメントバレー 
 
私はクリエイティブディレクターとして参加したのだが、アメリカに於けるクリエイティブディレクターの役割の重さも強く感じた。どんなに片言の英語でもみんなが耳を傾け、私のアイデアを理解するように努めてくれた。
    
日本では戦後広告の知識がアメリカから入ってきたこともあって、カタカナの名称が訳もなく氾濫し、その本当の役割や意味がないがしろにされている感があったが、ここで私はその言葉の意味を実感した。
   
プロフェッショナル、この経験を通して、私の実感はこの言葉に尽きた。アメリカにおいては仕事の結果が全てを左右する。カメラマン、スタッフすべての人が全力を尽くす。
  
結果を残すことのみが明日の仕事を約束してくれるのだ。厳しい、しかしみのりある経験であった。素晴らしく良く働くアメリカのクリエーター。彼らは実に効率的にそして辛抱強く仕事をした。それも私の新しい発見であった。