「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第39話 出会いの大切さ

2021.05.15

アメリカだけでなく、日本でも様々な出会いがあった。10年以上一緒にお仕事をさせていただいて、その後も長いおつきあいとなった女性社長。
   
そのおつきあいは一枚のカレンダーから始まった。私は1986年から12年間趣味の写真を使ってプライベートのカレンダーを作り、親しい人に配っていた。私の友人の一人がたまたまクライアントであった彼女に私のカレンダーを見せたところ、その方から、「作った方にお会いしたい」と言われた。と、いうことでお会いした。


▲ 1982年から1994年まで12年間続けたカレンダー。仕事で行った旅先でちょっとした時間の隙間で撮った写真を使った。カレンダーの文字は友人たちの誕生月に手書きで書いてもらった。

   
彼女は先見の明のある起業家で、それまでも様々な外国製品を輸入し、販売する仕事をされていた。その時は新しくペリエの販売を始める所であった。水なんて買って飲むことなんて考えられない1990年代、今から30年くらい前のことだ。
   
彼女はまたネスレーへの、仕事の道をつけてくださった。今までの私の仕事をネスレーのマーケティングマネージャーにプレゼンする機会をセットアップしてくださり、彼女がその後ネスレーに移り、そして再び会社を起こし独立した後まで、ネスレーの仕事を長い間させていただいた。
   
その彼女から日本で最初のペリエのポスターを作って欲しいとの依頼を受け、心が躍った。私にとってペリエはヴォーグなどでその広告を見る、とてもプレステージな飲み物という印象があった。
   
ペリエは、フランスの1億2千万年前の地殻変動により地下水と炭酸ガスが混じり合ってできた、自然が作り出した天然の炭酸水であることや、その歴史を彼女から聞いて、そんな素晴らしいものを広告できることに緊張を感じた。
 
      

▲ 日本で初めてのペリエのポスター。日本で初めてのブランドの広告は何回も制作したが、これは緊張した。フランスの飲み物と、高級感、期待感、をシンプルに表現したつもりだった。


▲ ペリエポスター駅貼。心配で駅まで見に行ったりした。


▲ PRイベントでポスター菊之助(当時)に出演していただいた。菊之助さんはとても熱心で、私がお貸ししたピエロの本で動きや表情などを研究してしてくださった。お母様の寺島さんが撮影にいらしてくださった。

  
ペリエに始まってそれから、ヴィッテル、サンペリグリノ、パンナ、コントレックスと彼女は次々と製品の幅を広げ、そのお仕事をすべて私にさせてくださった。
  
私の経験では質の良いコマーシャルができる要因の大きな部分は、制作者とクライアントの信頼関係にあると思う。彼女の素晴らしさは、その決断力だった。数あるプレゼンマテリアルから即座に一点選び出し、そのあと制作のディテールについて一切注文をつけない事にあった。
   
彼女はその当時ネスレーのマーケティングのトップであった、ベルナール氏の言葉をよく引用した。「キリンをラクダにしてはいけない。」それはクライアントサイドが制作の細部に口を出すことで、せっかくのアイデアが台無しになってしまう事を意味していた。
   
製作者がクライアントから信頼されていると感じることは、この上なく幸せで、アイデアをより良い方向に伸ばして行ける。結果的に効果的な広告が出来上がる。という関係なのだ。彼女の信頼に応えて私は自分のできる限りのベストを尽くした。
   
このように出会いは仕事に大きく影響する。良い出会い、悪い出会い。どこが違うのか、それは互いに大切にしているものが、同じか、否かの問題だと思う。一生のうちでたくさんの人と出会う。自分と価値観を共有できる人との出会いを大切にしてゆく。これが私の信条。