第42話 心に残った人
2021.08.15
仕事とは人との出会いであると思う。
パブリシスの8年間様々なクライアントと出会い、人と出会った。そして世の中の移り変わりにも立ち会うことに。
日産を配下に収めたルノーとの初めての仕事。ネスレーとリーバの中国でのアイスクリーム戦争。長銀を破綻に追い込んだ外資の銀行の進撃とその銀行との仕事。など、など、仕事として印象に残ったものもあれば、一緒に仕事をし、畏敬の念を抱いた人もある。
今思い返すとそれはステンドグラスの光のように私の心にきらめきを残している。ヨーロパに基盤を置く企業、働く人はアメリカのそれと違う匂いと空気をもたらしていた。
人は見かけで判断してはいけない。と思いつつどうしても判断しがちだ。
そんな判断を覆した女性だった。
その人は世界に冠たる銀行の仕事でお会いした。UBSウオーバーグ・ディロンリード、様々な合併を経てスイスナンバーワンの銀行。その規模と歴史に比べ日本では一部のほんの限られた人しか知らない銀行であった。
当時、UBSの一番の問題は知名度。知名度アップのためのプロジェクトが始まった。彼女はそのリーダーであった。まだ30代初めの若く地味な女性であった。
媒体としてTVCMを製作することとなった。その当時はJPモルガン、シティバンク、メリルリンチなどが派手にTVCMを流していた。
彼女はどうやってプロジェクトを進めてゆくのか、私は不安な気持ちで成り行きを見守った。いくつかの考え方を提示し、3方向のアイデアに絞り込んだ。これからが私をびっくりさせた彼女の仕事ぶりであった。
まず彼女は社員全体にアイデアをメールし、意見を求めた。何しろUBSにとって初めてのTVCMであったから。しかし私には一抹の不安があった。大丈夫なのかしら?通常日本の企業でこんなやり方をすると様々な人が無責任な意見を言って収拾がつかなくなるのだが…。
ところが彼女はたくさんの意見を選別し、検討に値するものだけを選び出して、私たちの議論のテーブルに乗せた。結果、修正案がまとまり、この修正案を彼女は社員全体を集めて発表するようセッティングした。
グローバルな組織らしく集まった社員は様々な国籍の人たちであった。
プレゼンで彼女は簡潔にUBSが置かれている状況、そしてみんなの意見の結果どのように修正されたかの説明をした。そして、私がストーリーボードを説明した後出席者に意見を求めた。外資らしくオープンな会議の仕方であった。
会議の終わり近くに、最前列にいた初老に近い日本人が2人手を上げて意見をいった。多分重役なのだろう。内容は「なんでこのアイデアになったのか、もっと良いアイデアがあるのではないか」とながながと、話した。
「あ〜またか」が、私の正直な反応である。よくあるケース、現場スッタフが苦労してまとめてきたものを、役職の偉いさんがその一言で振り出しに戻す例。
ところが彼女の反応は全く違った。爽やかな英語で、「今の時点でその話はないです。なぜなら2週間前にご意見を聞くためにメールしました。意見の締切日も明記しました。今回のプレゼンはその時の意見を踏まえて修正したアイデアの最終報告です。今のようなご意見は2週間前にいただきたかった。」この明確なコメントに2人の重役は黙ってしまった。
ヤッター!私は心の中で思わず叫んた。素晴らしい!
自分より目上、しかもはるか年長、の人でもはっきりとルール違反を指摘できる勇気。外資と言ってしまえばそれまでだが、20年前の日本で、女性の立場としては、考えられない彼女の言葉であった。そこには仕事を任され進めていく責任者としての自負と確信があった。
後で聞いた話だが、離婚して、娘さんを育てているシングルマザーとのことだったが、そんな事情を抱えても静かに着実に業務を遂行して行った彼女には頭が下がった。
彼女はその後様々な仕事に就きキャリアを磨き今も重要なポシションで輝いている。
▲龍馬コンセプトのCMは全部で5本製作した。3本はNYとワシントンで撮影。NYのトレードセンターをヘリコプターで龍馬が飛ぶシーンを苦労して撮影したが、この年、911が起こりトレードセンターのシーンはカットすることとなった。