「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第43話 変化の予兆

2021.09.01

日本はこれからどこに行くのだろう。
   
日産がルノーと資本提携したのは1999年。そしてカルロス・ゴーンが、ルノーの最高責任者兼任のまま日産に入社したのはその秋。
      
日本を代表する企業が外資に降った。今後日本は、日本の企業はどうなってゆくのか、一部の人は心配したであろう。しかし、大多数の日本人はまだ「Japan as No.1」の夢の中にいたと思う。
  
私はこの変化を、身を以って感じる立場にいた。パブリシスのメインクライアントはルノーであった。それゆえ、日本では、名前も知られていない小さな、小さな、広告代理店パブリシスジャパンが、ルノーの広告業務を行うこととなったからだ。
  
当時、ルノーはドゴールの公用車であったシトロエンやルノーサンクなどユニークな車で知られていたが、知名度はあっても日本での売り上げは微々たるものであった。日産との提携を機に、ルノー本社としては当然日本でのシェア拡大を考え、都内にショールームも開設した。
  
ルノージャパンはフランス人の社長のもと、元日産の社員で構成されていた。大変な出発であったが、更に大変だったのはルノーと日産の企業文化、ひいては立場と価値観の違いから起こる衝突であった。
   
ある時ルノーの事務所に出向いて仕事をしていると、会議室から、顔を真っ赤にしたフランス人の社長が、荒々しく出てきた。憤懣遣る方無い、この怒りを誰かにぶつけなければ治らないとばかりに、私に向かって叫んだ!
   
「バカバカしい!全く!たった500円のインセンティブのことで1時間半も議論するなんて!やってられない!なんなんだ一体!」
  
あっけにとられている私を残して、社長室のドアを荒々しく閉めていった。

会議室をそっと覗くと、苦々しい顔をした元日産の社員がいた。そして言った。
「日本のビジネスを教えようとしたのに、彼は全くわからない。」
  
  
信じてきた自分の経験や価値観が相手に通じない苛立ち、もどかしさ、生まれて初めて感じる他国語での議論の難しさ。プライドが心を曇らせる。彼は日産からルノーに移籍したことに、内心忸怩たる思いがあったのであろう。そして彼はまだ、日産の方がルノーより上であるという認識を変えることができないのであろう。
   
   
私のように外国人クライアントから仕事をいただく立場にいる人間は、どうしたら相手の気分を害さずに説得できるかに全力をかけてきた。たとえ相手が日本に関して無知であれ、一方的に日本の常識を押し付けても通じない。どう言ったら納得してくれるかを考えねばならない。国や立場が違えば、考え方も説得の仕方も柔軟に変えてゆかねばならないのだ。
   
これから彼は、どれほどたくさんの障害、自分の心の中のハードルを乗り越えてゆかねばならないだろう。私は、一流企業に勤めるビジネスマンの戸惑いを感じ、この誇り高き、典型的な日本の企業戦士に同情を禁じ得なかった。
 
  
日本と世界のパワーバランスの変化は、企業で働く人の運命を否応なく変えてしまう。その生き方までも。そして彼だけではない。私はその時、変化していく日本をおぼろげに感じていた。


▲モーリス・レビン(Maurice Le’vy)  。私は3つの代理店に努めたがグループのトップとして、一番意見を聞いてくれ、 話をしたのは彼であった。暖かく人間的で、彼のオフィスは誰でもドアーを開 けて入って行ける雰囲気があった。信じられないが、手紙もいつも手書きであった。