「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第44話 私の9.11

2021.09.19

世界を震撼させたアメリカ同時多発テロ事件から20年が経ち、皆さんもたくさんの記事を目にされたと思う。例えば、学校では、詳しいことを教わらないから「9.11って何?」というアメリカの若者が増えているらしいとか、若いイスラム教徒の間でビン・ラディンがレガシーになっているとか。
  
20年の節目を迎えたことから、ネットには多くの記事が飛び交う。今日は、この日を昨日のことのように感じている私の体験談をお話したい。
   
  
2001年9月11日。
私はランコムの撮影のため、ロンドンにいた。当時は、雑誌がメディアとしての勢いがあった時代で、女性誌はページが厚く、広告で溢れていた。その広告の筆頭が化粧品ブランドだった。
  
人気女性誌の表紙をめくったところのページ、いわゆる表2、そして裏表紙の表4、裏表紙裏の表3は有名ブランドの化粧品広告で埋められ、どのページに掲載できるかを争っていた。不幸にも良いポジションが取れなかったブランドは、特注の厚い紙に印刷し、読者が雑誌を開くと、否応無しにその広告ページが開くような特別仕立てまで工夫を凝らしたものだ。
    
ランコムは歴代美しいミューズを育てていたが、パリが主体の広告表現は日本人に対する訴求力が弱く、国内の熾烈な競争では負け戦を強いられていた。私は本社と何度も交渉を重ね、日本人向けの広告を作るよう働きかけ続けていた。

やっとその努力が実り、戦略的商品であるホワイト二ング美容液のモデル撮影が許可された。ランコムの契約カメラマンであったニック・ナイトのロンドンのスタジオで撮影することになったのだ。
  
ニック・ナイトは世界トップレベルのカメラマン。私は彼と仕事ができることに大きな喜びを感じていた。日本から来た私に、彼はチャレンジングな作品を何枚も見せて自分の考えを説明してくれ、私は高揚感に包まれていた。
   
お昼を過ぎて、コーヒーを飲もうと、スタジオのランチルームに入った時のことだ。何人かのスタッフがテレビの画面に釘付けになっていた。
  
  
TV画面には、今まさに飛行機がワールドトレードセンターに激突しようとするシーンが映っていた。大変なことが起きている!その場にいた全ての人が驚愕し、恐れ慄いていた。少しして、私は突然不安に襲われた。日本に帰れるだろうか?

撮影のためだけの2泊3日のロンドン、明日のJALのフライトは予約済み。絶対帰らねば!撮影した画面の修正、クライアントの承認、リサーチ…帰国後は、全てのスケジュールが待った無しだった。JALは飛ぶであろうという根拠のない自信を胸に、ホテルで独り心細く夜を過ごした。
 
朝、タクシーを拾って「ヒースロー」と告げると、ドライバーは首を振った。「今日は、飛行機は飛ばない。ヨーロッパ全土で。」「なんとか行ってください」と頼みこみ、車を走らせてもらう。「ひどいことが起きた。ロンドンも安全ではない」。いつもはおしゃべりしないロンドンのドライバーが今日ばかりは興奮気味で喋り続ける。
  
ヒースローについたら、なんということだろう!静寂が空港を支配していた。いつもは上空に数機の飛行機が旋回し、飛び立つ飛行機、着陸する飛行機など滑走路に数機の飛行機を見るのに。そして旅行者が慌ただしく行き交っているのに…。「ほらごらん、飛行機は飛ばないよ。」タクシードライバーの声を後に、JALのカウンターまで心臓をバクバクさせながら走った。すると、そこだけ人影が、そして明かりがついていた。その日、ヒースローからたった一機、JALだけが成田へ飛んだ。
  
   
テロなんて遠い国の出来事と思っていた私に、あのヒースローの信じられない静寂が、ことの恐ろしさ、大きさを20年経った今でも思い出させる。


▲その日のダイアリー。マリー・ジランは当時のランコムのミューズ。 何回か撮影したが、素直で優しい女性であった。プロ意識がしっかりしていて、日本の女優のわがままに撮影で泣かされた私にとってはまさに女神であった。